女性社員インタビュー

ハンデがあってもあきらめない。 30年のブランクを乗り越え、オンリーワンの音楽で人生を奏でる

  • 最終更新:2024/08/05

    音楽を、あきらめない。身体に障がいを持つ人たちが、自分の音楽を表現できる場をつくる

    人は誰しも、自分の中に表現したいもの、人に伝えたい思いを持っている。その思いを表現することで、人に感動を与え、人とつながり、人生を広げていくことができる。それは、身体に何らかの障がいを持つ人たちも、同じである。

    「音楽を、あきらめない」――病気や怪我により身体に障がいをもっている人が、好きな音楽で自分を表現することができる環境や活動の場をつくり、それを社会に広めていく活動を行っている田代亜紀子さん。自身も脳疾患による後遺症で手に障がいを持ちながら右手でのピアノ演奏を続ける田代さんは、「何事も、落ち込む材料にするか、前に進む燃料にするかは、自分次第なんです」と微笑む。

    制約の中から生み出される音楽には、その人だけのオンリーワンの音色がある

    2024年6月、東京・渋谷区文化総合センターの伝承ホールで、あるコンサートが開催された。「Special×ONE Concert 2024」。田代さんが代表を務めるOnehand MUSIC Grooveが主催するコンサートだ。パンフレットには、「障がいを持つ音楽家によるコンサート。ハンディをオンリーワンの音色に」とある。身体に障がいを持つ6組の音楽家が、独自の奏法で演奏や歌唱を行った。

    「身体的な不自由はあっても、その人の中にある音楽は失われるものではありません。むしろ、制約の中から生み出される音楽には、繊細な響き、シンプルな音色、工夫を凝らした奏法の中に、その人だけが奏でることのできるオンリーワンで唯一無二の音楽があります」。

    田代さんがOnehand MUSIC Grooveの活動を始めたのは、2022年のこと。活動への思いは、「身体的な障がいにより音楽を表現することに困難がある方が、音楽を“生きがい”とし続けることができる環境をつくる」ことだ。そのために、プロアマを問わず障がいを持つ音楽家が音楽を表現できる場をつくり、将来的には、障がい者用の楽器や演奏補助具の開発支援を行うことも目標としている。

    「最初は手探りでした。でも、私と同じように障がいがある友人に話したら、『それ、いいんじゃない』って共感してくれて、少しずつ輪が広がったんです。演奏者の方からも、『楽器が上手く弾けない自分を認めたくなかったけど、同じ境遇にいる人と一緒に演奏ができて、自分を受け入れることができるようになりました』と言っていただき、それが私自身の喜びでもあるんです」。

    同じ苦しみの中でも頑張っている人と出会えて、自分を受け入れることができた

    田代さんのこれまでのピアノ人生は、決して順風満帆ではない。3歳からレッスンを初め、高校3年生まで続けた。ところが、その頃から、左手に違和感が出てきて、ピアノが上手く弾けなくなった。脳疾患だった。音大進学はあきらめた。

    「昔と同じように弾けないことが悔しくて、自分を受け入れることができませんでした。『私はこんな下手じゃない』って自分を攻めたりして。それで、ピアノをやめてしまったんです」。

    その後、30年近く、ピアノから離れた。でも、ずっと、心のどこかでピアノが引っかかっていた。40代後半になり、「やっぱり、好きなことをしたい」と思い、ピアノを再開した。うまく弾けないなりに、少しずつ練習を始めた。50歳になった年、今後の脳出血の予防のため手術をすることになった。手術をすれば治って、前のように両手でピアノが弾けるようになるかもしれないと期待したが、結果はかえって悪くなってしまった。それでもリハビリを続け、再生医療から針治療まで、できることは何でもやった。しかし、昔に戻ることはなかった。

    「悔しくて悔しくて。仕方なく、右手だけで弾くピアノを続けていました」

    そんな時、友人が、片手だけで弾くピアノのコンクールがあることを教えてくれた。
    「どんな人たちが弾いているんだろう、という興味もあって参加しました。そうしたら、技能賞をいただいちゃって。何より、私と同じような境遇で苦しみながらも頑張っている人たちと出会えて、『私だけじゃないんだ』と思うことができました。片手だけで弾くピアノも、音楽表現としての魅力があることにも気づきました。それで、自分を受け入れることができるようになったんです」。

    田代さんは前向きになり始める。第二のピアノ人生が始まったかに思えた。

    逆境の中にいたからこそ、自分の使命、人生の意味が見えてきた

    ところが、コンクールから3週間後の雪の日、田代さんは、家の前で滑って転倒し、麻痺のない右手を複雑骨折してしまう。医師からは、「手術したところで100%元に戻ることはない」と告げられる。30数年思い続けて、ようやく、右手だけで弾くピアノの世界が見つかった矢先だっただけに、失意のどん底に突き落とされた気持ちになった。

    「やっと光が見えたと思った直後だったので、本当に落ち込みました。なんで、私だけがこんなに苦しまなければいけないんだろう、って」

    しかしその時、田代さんは、そう思うと同時に、心のどこかで、「こんなに苦しい状況が何度もやってくるのは、何か別の意味があるのではないか」と思ったのだ。

    「音楽の神様がきっと、『別のことをやりなさい』と言っているんじゃないかと思ったんです。逆境の中にいたからこそ、自分の使命や役割が見えてきたんだと思います」

    田代さんは、リハビリ中、身体に障がいを持ちながらも演奏活動を続けている人たちのことをネットで調べていた。すると、片手のドラマーやサックスプレーヤーなど、障がいを持ちながら音楽をあきらめていない人が何人もいることが分かった。その時、ふと、「スポーツの世界にパラリンピックがあるならば、音楽の世界にもそういう舞台があってもいいんじゃないか」と新たな発想ががよぎった。

    「いつか、そういう世界を作りたいと思っていましたが、それは漠然とした夢のままでした。でも、神様が、『いまこそ、行動を起こせ』と言っているのかもしれないって思ったんです」。

    田代さんは、新しい夢に向けての一歩を踏み出す。周りの友人に声をかけたところ、共感してもらえた。こうして生まれたのが、田代さんの「Onehand MUSIC Groove」の活動である。

    「自分がコンサートを主催するなんて、考えてもいませんでした。それができたのは、右手の骨折のおかげかもしれません。起こってしまったことを嘆いていても仕方ありません。自分の使命や意味を見つけ、それに向けて行動することが大事なんだと思います」。

    いろいろな経験の点と点がつながることで、自分だけの人生の意味が見えてくる

    いま、田代さんの夢は、Onehand MUSIC Groove活動を、社会の中に根付かせることだという。

    「一つひとつのコンサートを成功させることも大事なのですが、こういう場があることを多くの人に知ってもらい、『一緒にやりたい』という人が増えるといいな思っています。それは、私がこれまでの経験の中から得てきた多くのものを、社会に恩返ししていくことでもあると思っています」。

    夢を追い求めながらも、それへの執着を乗り越えて、別の形で花開かせた田代さん。

    「左手が麻痺して、右手で何とかしようと思ったら、右手も骨折して…。でも、そんな経験ができるのは、私だけかもしれない、って思ったんです。どんな経験も、悪い経験というのはないんですよね。若い頃は、『何で、私、こんなことしないといけないのだろう』 と思うこともあるだろうけど、無駄なことは何もなくて、一生懸命やっていれば、いつか点と点がつながってきて、自分だけの人生の意味になるんです。私の場合も、途中で止めてしまったことでも、やっぱり好きで、『やりたい』という自分の中の思いで行動したことが、結果として、つながったんです」。

    最後に、田代さんの心の支えになっている言葉について聞いた。
    「7本指のピアニストである西川悟平さんの、『最悪の出来事も最高の出来事に変わる。それぞれの出来事を生かすも殺すも、自分自身の考え方と行動次第なのだ』という言葉が好きですね。自分で言うのも何ですが、私のこれまでの人生のストーリー、面白いなって思います。オンリーワンですから」。